2.序文

ピョートル・オソーフスキー
ソ連人民芸術家* ソ連国家賞受賞者 ロシア芸術アカデミー正会員


「** 現代ロシア絵画考」を読みながら、ロシアの画家に特有なもの、すなわち、深い洞 察とロシアの風景画並びにロシア写実主義流派の伝統に対する熱狂的な姿勢を、非ロシア 人の目で石井氏が開示することに成功しているのを見て、私は少なからず驚かされた。それこそは、民族的なレベルのみならず、世界的なレベルの才能がこれまで常に輩出し、ま たこれからも輩出する土台となるものなのである。

もう大分昔の話になるが、私のまだ若かりし頃、石井氏の本にもそれについて述べられ ているが、日本で初めてロシア絵画が紹介され、成功を収めていた時期に、日本の新聞の 反響を読んで、ロシアが世界のために写実主義絵画を救ったという思いがしたものである。

その思いは時間の経過と共に正しいことがはっきりしたのであるが、二十一世紀に入り、 私たちはそれなしでは写実主義絵画に従事するいかなる試みも実りあるものにならない学 校が、世界で唯一私の国に温存され、現に機能していることを確認することが出来る。バ レエや音楽、すなわちオペラや舞踏、演奏音楽芸術と同じように写実主義絵画には本格的 な学校が不可欠である。世界の先進諸国に写実主義絵画の学校がなくなってしまった理由 を明らかにするのは私の仕事ではない。

それで、石井氏の本に戻るが、この本を書いたのは外国人でなく、ロシア人ではないのかという考えが私の脳裏に浮かんだ。それほど独自 に情感的に、著者はロシアの画家が自分の画布に感情移入したものを感じ取っているので ある。

石井氏は、ロシアに駐在してから絵画蒐集を始めた。彼の本に紹介されている作品はどれも、充分高度な芸術レベルを備えた作品であるが、にもかかわらず、総てが大家の作品というわけではない。ロシアの画家の労作を見付ける過程で生じた難しさは、私にもよく解る。

絵画蒐集という高潔な行為においては、複数のしかるべき相談役の存在とそれなりの資金的可能性が不可欠であり、石井氏が集めたコレクションをロシア写実主義の巨匠たちの真の業績に一致する水準に引き上げるには、そういうことが必要であったであろう。 私はあえて写実主義をロシア写実主義と述べるが、写実主義は本来民族的な定義はないに もかかわらずそのように述べるのは、真の写実主義がロシアでしか発展を遂げなかったか らである。

ともあれ、石井氏は大部分の絵を画廊での出会いで求めている。鋭い慧眼(けいがん)の 持ち主であるからこそ、自らの感性を頼りに時間をかけて本書に掲載されているようなレベルの労作を選べたのであろう。そう多いとは言えない数の絵を集め、日本の鑑賞者に私 の国の絵画を紹介するのに著者は大変な労を執られたが、それは私にはいくら評価しても し過ぎではないように思われる。

二十世紀後半のロシア写実派の巨匠の芸術がやはり良く知られていない欧米において、本書を出版する計画が著者にあるのを私は知っている。ロシアの学校が二十世紀初頭に世 界のために開かれていたのと同じように、十九世紀と二十世紀のロシアの写実主義が世界 の人々のために開かれようとしており、それはそう遠いことではない。

それゆえ、日本の社会にロシア絵画を紹介するため石井氏が著した本書は、熱烈に歓迎 される必要があるばかりでなく、ロシアの芸術学者に同じことをなし得る者がこれまでい なかった以上、その労に対しあらゆる面で彼を助けることが必要であろう。その上、私は、石井氏の活動が、まさに絵を愛する高潔な精神の持ち主のみが行うことの出来る行為であ ると考えている。

最後に比喩的な表現になるが、日出る国において、本書の著者の助力によって、太陽が 日本の国民のために二十世紀後半のロシア絵画の意義と意味付けを照らし出し、それによ りロシア絵画の大家の作品を知ることを遮っている帳が取り払われんことを望みたい。世界は、祖国と人と自然に対する無欲で無制限の奉仕と愛を基礎とする私の国の絵画芸術を 知らねばならないであろうから。

* 人民芸術家には、ソ連時代、共和国の人民芸術家とソ連の人民芸術家とがあり、その称号にはそれ なりの格差があったため、ソ連が消滅した現在もロシアでは人民芸術家については、ソ連という呼 称が用いられている(訳者注釈)。

** ロシア語訳の本書の題名は、ロシア人受けするように「ある日本人の目から見た現代ロシア絵画」 となっている(訳者注釈。尚、本文の訳者は著者)。