変貌を遂げた現代ロシア写実主義絵画

いかなる絵画様式もその流れを歴史的に俯瞰すれば、その時々の歴史の局面を色濃く反映したものであることが解る。それは絵画が人間の生み出した芸術であることから来ているが、その観点から意識的に絵画芸術を捉えると、写実主義絵画様式ほど数奇な運命を辿りながらも、否、むしろそれだからこそ、極めて高い芸術レベルを獲得した絵画はほかにないことに思い当たるのである。

現代ロシア写実主義絵画と言うと、多くの人はイディオロギー的な絵画を思い浮かべることであろう。それもごく自然なことで、ロシア革命後の三十年代にソヴィエト政権によって、政権維持の見地から、一八九十年代に下火になった写実主義絵画を政治的人為的に復活させたものだからである。その絵画は、時代の要請を反映して、社会主義建設をテーマにした写実主義の風景画等を描いたことから、「社会主義リアリズム」と呼ばれている。

しかし、国の庇護の下、半世紀の長きに亘り特異な発達を遂げたその絵画も、ペレストロイカが始まる以前の八十年代初期には、時代の気分を先取りして大きな変貌を遂げることになる。つまり、描写対象は誰にも受け入れられる一般的な風景画や静物画に変わり、イディオロギー色の全く感じられない絵画になっていたわけで、私が最初にモスクワに駐在したソ連邦崩壊の歴史の激動期には、そのような純粋芸術の絵画ばかりが制作され、誰もが親しむことのできるその円熟した高い芸術レベルの絵画魔力に、私も図らずものめり込むように魅せられたのである。そのような類の絵画は、現代ロシア絵画がロシアの特殊事情の下で長期に亘る活動の結果として辿り着いた写実主義絵画様式の、言わば、ひとつの到達点であるが、そのような絵画は、世界の多くの人には未だもって、ほとんど知られていない。

本書では、そうした絵画の紹介のみならず、その紹介例を通じてその絵画の特徴を把握し、その本質を開示するため、全部で三十九点の作品を掲載している。